日本人の暧昧さ
言语表现に関して言えば、日本语は暧昧であるというのは当たらないと思います。日本语は、ほぼ同様の文化、习惯を背景にした者どうしでのコミュニケーションの中でつくられてきた言叶ですから、わざわざ言叶に上らせる必要のないことは、当然省いてしまうという経済性を身に付けてきました。当然そちらがより良いわけです。同じ意味量を伝えるのに短时间ですむ、あるいは同じ时间でより多い情报が伝えられるわけです。一方大陆の言语は、これは欧米语だけでなく中国语も似たような倾向があるように思いますが、异なる文化、习惯をもった人がすぐ隣にいるわけで、同质のバックボーンを拠り所として话し始めることの出来ないコミュニケーションの中でつくられてきた言叶です。そこでは、意思交换の间违いを防ぐために、日本人からすれば无駄としか思えないほど主语や所有格を缲り返しますし、白か黒か、右か左かといった単纯な二者択一的表现がとられることになります。それはよく言えば明快かもしれませんが、悪く言えば荒いんです。もし身近に日本语をかなり使いこなせている欧米人がいたら、どちらの言叶が致密な意思伝达をとっていると思うかと、确认してみられたらいいと思います。「白だろうか黒だろうか?」という质问に、日本人ははっきり「白」とも「黒」とも言わないことが多い、というような外人の指摘は、荒い目の言语をもった人々の视点からいえることであって、细かい目の言语を使用している日本人からすれば、「白」というのも「黒」というのも当たらない、もうすこし细かく対象が分かれているということがあるわけです。たとえば、普段の家族や友人との会话で、二者択一的にYesかNoかでコミュニケーションをとっているというより、もう少し细分化された中で会话していませんか?それを白か黒かの荒い目の言语しかもたない外人が、自分の言语の网にかからないから暧昧だというのは仕方ないことですが、日本人が外人の视点にたって暧昧だというのは、いかがなものでしょうか。お前たちの言叶が雑なんだ、といってやればいいんじゃあないかと、私などは思ってしまいます。